〈一枚の貨物船の写真〉
ここに一枚の貨物船の写真があります。撮影日時は1943年7月13日、場所はスコットランドのグリーノック、背景にはイギリスの古風な建物が見え、ど んよりと曇った暗い空の下、カモメが飛び交うやや波のある海に1隻の貨物船が錨を入れて停泊しています。しかしこの貨物船、ふつうの貨物船とは違ってク レーンや煙突がありません。甲板上は平らになっており、その平らな甲板の右舷・船首寄りの位置に小さな箱型の船橋(ブリッジ)が申し訳程度に付いていま す。そう、この船は飛行甲板付の貨物船なのです。船の名前はEmpire MacAndrew(エンパイア・マッカンドリュー)と言います。
第二次大戦中、連合国とドイツは海上でも熾烈な戦いを繰り広げていました。ドイツはUボート(ドイツ語で潜水艦のこと。あまりに有名なのでドイツ 潜水艦の代名詞となっています)を使って連合国の貨物船を攻撃し、島国であるイギリスは苦境に陥っていました。そこで貨物船の船団を護衛するため、飛行機 を飛ばしていち早くUボートを発見し、船団の被害を減らす作戦が採られたのですが、それには大量の航空母艦が必要となります。この船団護衛用の空母は中型 の貨物船の船体をもとに作られ“護衛空母”と言われるのですが、この護衛空母の数が本格的にそろうまでの間、商船兼用の簡易護衛空母が造られることになっ たのです。これらの船は穀物輸送船やタンカーを改造して造られ、“Merchant Aircraft Carrier”通称MAC ship(MACシップ)と呼ばれます。商船としての機能を可能な限り残したため空母としては限界に近い簡単な構造で、乗組員は全員が民間人で、航空要員 のみが海軍軍人です。 ソードフィッシュという複葉の艦上攻撃機を4機搭載できますが、そのうち1機は飛行甲板上にそのまま止めておかなければなりませんでした。
船体は130~150m程で、搭載していたのが旧式の複葉機だから、この程度の長さの飛行甲板でも足りたのです。見た目も本当に簡素で、こんなの で飛行機の発着ができるのかと思うほどです。この船に乗り組んでいたパイロットはよほど腕がよかったのではないでしょうか。ただ非常に簡素ではありますが 空母としての基本的な形はしており、小さいながらも親と全く同じ形をしているカマキリやワニの子供を見るようで何とも妙な感じがします。必死に船団護衛に 従事していた当時の乗組員が聞いたら怒るかもしれませんが、どことなくユーモラスです。しかしこれらの船が整備された頃は大戦の中期で、まだまだ先行きが 見えず、いつ果てるとも知れない戦いが続いている頃です。何とか役に立ってくれ、という当時の人々の気持ちが伝わってくるような船でもあります。
各船とも1943~1944年に完成して船団護衛に加わり、具体的な戦果は挙げませんでしたが、偵察の飛行機を飛ばしたり、空母らしき船が存在し ているということで、間接的な効果はけっこうあったらしいです。潜水艦にとっては頭上に飛行機が飛んでいるというだけで、かなりの脅威になるのです。 MACシップは全部で19隻が建造され、幸いにも全てが大戦を生き延び、戦後は商船に復帰しました。
冒頭に紹介したEmpire MacAndrew(エンパイア・マッカンドリュー)号の写真は、MACシップについての説明の際に必ずといっていいほど紹介されます。戦闘艦が持つ力強 さや華やかさは全くありませんが、暗い空模様と相まって、船団護衛に出発する前の緊迫した雰囲気が伝わってきて非常に印象的です。
(参考文献:世界の艦船 増刊「イギリス航空母艦史」)