〈大宰府から緊急連絡!〉
地図帳を開いて、下関から岩国にかけての、山口県の瀬戸内沿いの山や岬の名前をよく見てください。火の山、火山、日ノ峰、日ノ山、火振岬など、「火」ま たは「日」がつく山や岬が点々と存在しています。そう、これらは古代大和政権が設置した、大宰府―都間をつなぐノロシによる通信中継所、「烽」(とぶひ) の名残なのです。
現在「火」に関する名前がつく山は、戦国時代の砦や、江戸時代に藩の狼煙台として使われた場所もあり、現在の名前が古代の「烽」そのものを受け継 いだ名前かどうかははっきりしませんが、位置関係や標高から見て「烽」であったことはほぼ確実なようです。山口県の瀬戸内沿岸にあるこれらの「火ノ山」 は、互いに見通せる距離にある場合もありますが、そうでない場所もあり、名前の残っていない「烽」(火ノ山)がたくさんあるわけです。また、かつて「烽」 に使われた山は、後に同じように火を焚く「雨乞い」の儀式に使われた可能性があり、雨の神様を祭っている「竜王山」の中には、烽であった山が隠れていると 考えられます。「火ノ山」系の名前は山口県から広島県あたりで途切れますが、岡山県や瀬戸内海の島嶼には「竜王山」が点々と存在します。そのうちのどれが 烽かははっきり分かりませんが、烽がふくまれているはずです。
通信に際しては火(ノロシ)が使われますが、悪天候などで火が使えない時は、係りの者が“走って”隣の烽に伝えることとなっていたので、烽自体は 必ずしも高い山である必要はなく(むしろ不便…)、こんもりとして見通しがきく場所なら役目を果たせます。山口県の火ノ山はほぼ標高100~200m程度 で、昔の人の健脚をもってすれば何とかなったのでしょう。平野でも小高い丘を利用した烽がたくさんあったはずです。
関西では、生駒山系信貴山近くの「高安山」が有名です。ここは天智天皇の頃、飛鳥の都を守る「高安城(たかやすのき)」が置かれた所で、“城砦” 兼“烽火台”であったわけです。神戸においては、須磨区の旗振り山・鉢伏山あたりが、烽である可能性があります。なお、奈良時代頃は「城」を“キ”と読ん でいたらしく、平安後期頃から“シロ”ないし“ジョウ”と読むようになったらしいです。
地名を眺めていると、遠い時間の流れの中に消えたかに思える歴史が、おぼろげながら見えてきます。