本ウェブサイトは2012年4月下旬をもって閉鎖いたしました。このページに掲載している内容は閉鎖時点のものです。今後は,移設先のサイト(2012年4月下旬より有効)をご覧下さい。[2012年4月]

〈立石・車路?〉

 あなたの住んでいる近くに「立石(たていし)」「車路(くるまじ)」「車地(くるまじ)」「馬屋(うまや)」「馬込(まごめ)」などの地名があります か?一直線に続く旧道がありますか?道路に沿った妙に細長い畑・ため池はありませんか?ため池の中をまっすぐに伸びる堤防は?道の駅がありますか?この中 で3つが同時に該当すれば、あなたの家の近くか、真下を古代の直線道路が通っていることでしょう。以前に7~9世紀にかけて律令国家のもとで整備された駅 路(官道)について紹介しましたが、上はそれらの名残なのです。

「車路」は道を荷車に荷を載せて運んだことから付いたと考えられる名前で、山口県や九州によく見られ、防人たちの軍用品を運んだことの名残のようです。 「馬屋」は文字どおり「駅(うまや。駅の古い読み方)」です。「立石」も文字通り近くに大きな石が立っていることから付けられた名前です。これは道路の標 柱として立てられたものです。江戸時代の標柱石はきれいに直方体に削られ、壁面に「○○街道」とか書いてありよく分かります。街中でもよく気をつけていれ ば、歩道の脇に苔むした標柱石がポツンと残っていることがあり、「元禄○○年」とか彫ってあって意外に古いものだったりします。古代の標柱石の場合は、そ ういった文字が彫られていることはなく、巨大な細長い石がニョキっと立てられているだけなのですが、かなり目立ちます。説明を何にも書いてくれていないの で、室町時代ぐらいのはるか昔において、もうすでに何なのか分からなくなっていたらしく、「何かよく分からない石がある」と文献に記載されていることがあ ります。よく分からないけど大きくて存在感があるので、信仰の対象になっている場合もあり、動かしたり粗末に扱うと例によって「祟りじゃ!」となるものも あります。古代道路脇の標柱石は、単なる標柱としての機能だけでなく、明らかに信仰の山を遥拝するためのポイントとして立てられている所もあり、一様では ありません。当初から信仰を伴っていた石もあるわけです。「祟りじゃ!」に関しては、お上が立てた大切な標柱石を、勝手に石材などに転用されないように、 意図的に「伝説」を流布させた可能性があります。

都市部からちょっと離れた場所に行くと、幹線道路沿いに「道の駅」があり、休憩するのに大変重宝しますが、道の駅・鉄道の駅・高速道路のインターチェンジ と、古代の「駅」が重複する場合がかなり多いのです。交通で分岐点や中継点となる場所は、今も昔も変わらないわけです。

直線の旧道・切通し・細長い地割り・道路脇の意味のない細長い空き地や畑、ため池などが断続的に続く場合は、ほぼ間違いなく古代の直線道路の名残ですが、 それだけを地上で見ていても、ほとんど気づくことはありません。飽きずに地図とにらめっこをすることが必要なのです。でも、歩いていて道路や畑の形を見て 「何でこんなかたちなんだろう?」と思うことがあれば大きな一歩です。そうすれば、あなたも古代道路ファンになる素質があるのです! 

(参考文献:「完全踏査 古代の道」「続完全踏査 古代の道」 武部 健一著 吉川弘文館)

(参考文献:「古代の道路事情」 木本 雅康著 吉川弘文館)