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「伊能忠敬の偉業と参考絵図」
ゲスト:大西道一さん(NPO法人日本スペースガード協会理事・関西支部長)
場所:南建築事務所ギャラリー(南Ⅱタワー2F)
日時:2007年6月29日
場所:南建築事務所ギャラリー(南Ⅱタワー2F)
日時:2007年6月29日
- 開催案内文の記録
- 今回は、類まれなる精神と実行力により、当時類を見ない精度の地図を作成した伊能忠敬の地図作成に関するお話を聞きながら、地図、日本人の技術などについて自由に語り合いたいと思います。どうぞお気軽にご参加ください。
- 導入部
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今回はギャラリーをお借りしてのサイエンスカフェ。話題提供者の大西さんからは伊能大図総覧という大きな本(限定300部しかないそうです)と、ご自身が複写(模写)された古地図(兵庫県高砂市高砂町付近)が持ち込まれて始まりました。この地図、「伊能忠敬測量隊参考絵図・播磨国部分」という1800年代始めに描かれたもので、伊能忠敬が測量するにあたって幕府が地元に提出を命じ、参考にしたといわれるもの。河口付近の三角州や砂洲の詳細さには目をみはるものがあり、伊能の地図のポリシー「海岸線をきちんと描く」という意図に沿ったものであることが説明されました。
- そして、話題は伊能忠敬自身の業績へ
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伊能は50才で江戸に出て,念願の天文学を学び始め,地球の大きさを測りたくなりました.師の高橋至時にそそのかされて55才から全国測を開始、そして73才までの18年間に弟子を育てながら幾度にわたる測量を経て地図を完成させました。海岸線にこだわった一方、城下付近は政治的判断であまり詳細に描かれていないとの例も示されました。
- 最後に
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会場からは、現在の地図作成技術と比較した議論に加え、伊能のような、晩年になってから学問を始める生き方についてどう思うか?という問いかけも出ました。これに対し、休憩中の女性陣からは「支えた奥さんが偉いのでは?」との声も。高砂の歴史と、伊能の業績と人生に思いを馳せた2時間でした。 (文責:橋口)