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「ゲーデルの不完全性定理と無限の研究としての集合論」

ゲスト:渕野 昌(Sakaé Fuchino) さん(神戸大学大学院システム情報学研究科)
日時:2010年5月15日(土) 13:00~15:00
会場:和風レストランさくら
開催案内文の記録

ポスター(816KB, PDF)

数学では,自然数 0,1,2,3,… の全体,数直線上の点の全体など無限に 要素を含む対象を扱わなくではいけない,という状況が常に起ります.このような数学的「無限」を 意識的,積極的に研究する数学理論として集合論という研究分野が19世紀の後半に G. カントル,弘化2年 -- 大正7年(G. Cantor, 1845 -- 1918) によって確立されました.

(ほぼ)すべての数学理論は集合論の枠組の中で展開できるため,集合論は,数学の基礎という 位置付けをすることも可能で,そのような役割の重要性から学校教育でも「集合」に関連した事柄が とりあげられるようになっており,「集合論」という名前で集合演算の基礎を習ったことのある人も 少なくないのではないかと思います.

カントル以降の集合論は,一般にはほとんど知られていないようですが,集合論の研究は,カントルで 終ってしまったわけではなくて,むしろ近年(特に1990年代以降)になって加速度的に進展していると言えます. 一方,1930年に K.ゲーデル,明治39年 -- 昭和53年 (K.Goedel, 1906 -- 1978)によって確立された 不完全性定理により,数学の厳密な論理的な展開は,カントルの時代には予想すらできなかったような大きな 制約を受けることが明らかになりました.

不完全性定理の影響が最も劇的な形で現われることになる数学の 分野は集合論ですが,ときどきインターネット上のあやしげなページなどでみかけることのある 「数学/集合論の厳密な論理的展開は不完全性定理によって無意味になった」 というような主張は実は全く間違っています. むしろ,不完全性定理は,数学あるいは集合論の豊かさを保証している, とすら考えることができるのですが,今回のサイエンスカフェではそれがなぜなのか,ということについて 一緒に考えてみたいと思っています.

当日の様子

<当日使用したスライドは、こちら

今回のカフェのテーマは「ゲーデルの不完全性定理」でした。数学を勉強している大学生、数学に興味のある高校生、哲学に興味のある人などが参加していました。

話の前半は「無限」についてでした。中学校で習う「ピタゴラスの定理」をはじめとして、有理数や実数の可算、非可算といった項目が無限の例として出てきました。この辺りでは数式による説明があり、参加者からの質問もいくつかありました。

このような数学的な「無限」をさらに研究するのが集合論です。他の数学の分野はすべて集合論の中で展開することができるのですが、集合論の体系で可能な超限帰納法を縦横に用いる議論は、通常の数学の範囲を大きく越えるものになる、ということです。

後半では、数式による説明はなく、本題の「ゲーデルの不完全性定理」と集合論の関係についてのお話がありました。キーワードは「完全性」と「矛盾」でした。第一不完全性定理により集合論の不完全性(それ自身とその否定のどちらも証明できないような命題が存在する)が証明され、第二不完全性定理により集合論の無矛盾が集合論の中では証明できないと証明されているようです。これだけを聞くと、数学は理論として成り立たないという感じを受けますが、そうではない状況証拠や間接証拠があり、数学の理論が崩れたわけではありません。

渕野さん:「第一不完全性定理が集合論にもたらしたものは「不完全」という否定的なファクターであるよりは、むしろ、集合論、あるいは数学のopen endedness(未来へ無限に開かれていること)であるように思える」

講演が一通り終わるとたくさんの質問が出ました。今回は、通常の2時間枠の後に雑談タイムがあり、渕野さんを囲んで参加者同士の会話も楽しむことができました。数学の専門的な話が多かった今回のカフェは、内容自体はぼんやりとしか把握できなかったけれども、知らない世界に新鮮さを感じたという方もいらっしゃいました。参加者それぞれが違った印象を持ちつつ、「科学」の世界を楽しんだのではないでしょうか。

(文・神戸大学サイエンスショップ)